三次元球面内の結び目補空間の基本群は左順序付け可能であるが, その結び目に沿ったデーン手術で得られる閉三次元多様体の基本群は, 左順序付け可能であるとは限らない. トーラス結び目を考えてみると, トーラス結び目に沿ったデーン手術によりレンズ空間が得られる場合があるので, 有限群は左順序付け可能ではないことから, デーン手術により左順序付け可能ではない閉三次元多様体が得られる例があることがわかる. 逆に, 三次元球面内の8の字結び目に沿ったデーン手術で, slope rが-4≦r≦4を満たすとき, 得られた閉三次元多様体の基本群が左順序付け可能になることが知られている.
このように, どのような結び目に対し, どのようなデーン手術で左順序付け可能な基本群を持つ閉三次元多様体が得られるか(または左順序付け可能ではないものが得られるか)は, Boyer-Gordon-Watsonによって提唱されたL-space予想に関連して, 活発な研究がなされてきている.
この研究に関連して, アノソフ流の閉軌道に沿ったデーン手術を用いる手法を用いて, レンズ空間内の種数1ファイバー結び目(genus one fibered knot(GOF-knot))に沿ったデーン手術で得られる閉三次元多様体の基本群の左順序付けに関する結果を, 市原一裕氏(日本大学文理学部)との共同研究で得た(プレプリント参照).
本講演では, 上記の結果で用いられているアノソフ流とR-covered葉層構造の関係や, それらにより, なぜ左順序付け可能性がわかるかについて概説する. さらに, 三次元球面内の8の字結び目に沿ったデーン手術に対する, アノソフ流を用いたアプローチについて展望を述べる.
プレプリント:
Kazuhiro Ichihara, Yasuharu Nakae,
Integral left-orderable surgeries on genus one fibered knots,
arXiv:2003.11801
(背景) 希薄溶液中の環状高分子鎖(≒ 結び目と見なせる高分子)の慣性半径(≒ 重心からの広がり,回転半径ともいう)は,環状高分子の統計物理学で最も基本となる重要な物理量だといわれる.これは線形高分子鎖(≒ long knot とみなせる高分子)で理論的な展開をする時によく用いられるという根拠に合わせて,「環状(閉じている)」ためにトポロジーの効果が出ることが期待されるからである.ここで捉えたいのは open/closed の差だけでなく,より精緻に knot-type による物性の特徴づけ,である.しかしながら,このトポロジーの効果をつかまえるためには,実験におけるハードルが立ちはだかってきた.このハードルは頂点数に起因する.頂点数がそれなりに大きくないと結び目ができない一方で,トポロジーの効果を得るために,排除体積(≒ 一つの頂点が他の頂点を排除する空間領域)の範囲を小さくするには頂点数がある程度小さくなくてはいけない,といったディレンマがあった(以上,[出口2011] を参照).
なお,講演者らが参照した2017年の論文 [Uehara-Deguchi2017] では,上原-出口は,ある物性と trefoil の対応づけに成功している.そこで講演者らは次に気をつけて研究を進めた:
1. 交点数の3乗のオーダー以下の計算量に抑えたい.
2. 空間グラフは実際に実験で合成されている(頂点の扱いに気をつける).
3. Vassiliev 不変量として,Gauss diagram formula(かつ,できれば既存の結果と比較できるようなもの)がほしい.
[出口2011] 出口哲生,希薄溶液中の環状高分子の回転半径, 高分子論文集, Vol.68, No.12, pp.767—772 (2011).
[Uehara-Deguchi2017] E. Uehara and T. Deguchi, Knotting probability of self-avoiding polygons under a topological constraint, J. Chem. Phys. 147, 094901 (2017).
[本講演に対するpreprint] N. Ito and N. Oyamaguchi, Gauss diagram formulas of Vassiliev invariants of spatial 2-bouquet graphs, arXiv:2006.03861.