「ワイマル友の会」について


「ワイマル友の会」というのはゲルマニスティク(ドイツ学・ドイツ語学・ドイツ文学)研究者の団体、すなわちドイツ語学・文学関係の学会であった。今はもう存在しない。というのも、この学会は、東ドイツことドイツ民主共和国(DDR)のゲルマニスティクとの交流を主な目的としていたからだ。東ドイツ消滅と同時に、存在意義のすべてではないにせよ、その核心部分が失われてしまった。使命を終えたのだ。

 かつてドイツが東西に分裂していたころ、つまり東ドイツがまだ存在していたころ、西ドイツ政府は、日本独文学会が東ドイツと係わりを持つことを嫌った。しかも1973年までは日本政府も東ドイツを国家として承認していなかったから、国交もなかった。しかしながら、そのような政治情勢に従い、あるいは政治的圧力に屈して、日本のゲルマニスティクが「東ドイツ」を無視してよいものか。そうはいかない。そこで立ち上げられたのがこの「友の会」だった。

 「友の会」は、全国に支部を持ち、東独から研究者を招き、研究報告を発行し、留学生を派遣するなど精力的に活動していた。

 私がこの学会の存在を知ったのは大学院に入学した頃だったと思う。どういう形で「知る」にいたったかはよく覚えていないが、当時早稲田には東独滞在の長かった林睦実先生がいらっしゃったし、独文の助手は三代続けて「ワイマル友の会」留学生で「東独帰り」だったから、そのあたりからだろう。そもそも「ワイマル友の会」が結成された会合は早稲田で行われていたのだ。しかし、林先生と大久保進先生以外の方と「友の会」について話をした記憶はない。なんとなく、みな触れたくない話題なのかな、と私は感じていた。あの雰囲気は、「もう終わったことだ」「係わってこなかった世代には関係ない」という気分を映していたのだろうか。

 というのも、当時は、ドイツ「再統一」の頃、すなわち東独消滅の頃だったからだ。まさに終わりの始まりの時期だったのである。再統一を喜んだ多くの方々には甚だ申し訳ないが、私は個人的には残念だった。漠然と、東ドイツに行ってみたかったからである。そして、その後もよく勝手に妄想したのだが、あと十年東独が存続していたら、私も「ワイマル友の会」の留学生として東ベルリンなり、ライプツィヒなりに行っていたに違いないのだ。

 しかし、そういうことにはならなかった。私は東独留学の機会を逃し、多分そのせいでというわけではないが、なかなか渡独に至らず、ずいぶん年をとってから留学した。最初は林先生の勧めでライプツィヒに行く予定だったのだが、いろいろあって、結局、シャイフェレ先生と相談してベルリン自由大学へ行くことになった。これも縁というものだ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。東独と一緒に「ワイマル友の会」のことも忘れられ、若い人たちは最初から知らない、という時代が来るのかもしれない。いや、もう来たのだきっと。ならば、ということで、林先生の書いた論文を含め、「友の会」の歴史を伝える資料を二篇、ここに載せることにした。私自身、今のところ、あえて東の文学の研究がしたいとは思っていないのだけれど・・・

 林先生は私の指導教授だった。先生の指導を受け始めたばかりの頃だろうか。「君はワイマル友の会って知ってるか?」と先生はおっしゃって、その抜き刷りを渡してくれたのだった。


以下、「ワイマル友の会」関係資料です。タイトルをクリックするとダウンロードできます。


   林睦実:「ワイマル友の会」とドイツ文学研究の諸問題 
   宮下啓三、永井清彦、林睦実、辻善夫:『ドイツ文学』第87号(1991)「マルジナリア」より 
(*宮下先生の文章は「ワイマル友の会」と関係ありません)


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